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 天皇陛下即位20周年を記念し、三の丸尚蔵館や正倉院など宮内庁が所蔵する皇室ゆかりの名宝を集めた特別展の第1期(11月3日まで)。伊藤若冲「動植綏絵」や狩野永徳「唐獅子図屏風」が目玉の1期は、すでに来館者10万人を突破したそうだ。たまたま仕事が早くあがったので、20時まで開館する金曜の夜に行ってきた。

 混んでいるとは思ったが、やはり芋の子を洗うような状態で、とくに今回の目玉である「動植綏絵」30幅は人の頭で覆われ、ほとんど画面の上半身しか見えなかった。とはいえ、隙間をぬって前方に滑りこんで見ただけでも、筆致や質感、絵具の発色のすばらしさは圧巻だ。これを直に見ることなんて、この先二度とないだろう。しみじみ。
 若冲は「動植綏絵」に先立つ「旭日鳳凰図」も出展されており、この鳳凰の眼が切れ長でアダっぽくてイカス。混雑に乗じて「(手塚治虫の)火の鳥だ、火の鳥!」とつぶやき、ひとり盛り上がる。酒井抱一の「花鳥十二ヶ月」12幅もよかった。シンプルこの上ない絵なのに、気品と色気が束になって押し寄せてきて、思わず息をつめてしまった。
 
 絵画はもちろん、まるで詳しくない工芸の名品も多数陳列されていて、これまたいちいち凄かった。高さ70センチはありそうな七宝の花瓶とか、羽の質感まで細かく彫りだした鶏の置物とか、

 どうやったらこんなものが作れるんだ?

 と唸るしかないものばかり。高度な技術に裏打ちされているのは確かだが、作品そのものが持っている「ブレのなさ」や「剄さ」は何なのか、と考えてしまう。ひたすらその道を追い、自らの力だけを頼りに創作に打ち込む支えとなる1本の柱。背骨のすーっと通った作り手の生き方を映し出すような、迷いのない作品群に、思いがけずいろんな感情を引きだされる。優れた美術品を堪能すると同時に、それを生み出すことを可能にした要素や時代背景にも思いをはせたのだった。

 「安くて手軽」が流行るのは経済状況と切り離せないから、精神論だけで言っても仕方ないが、若冲の時代から250年、手間も金もかかるホンモノが廃れたり軽んじられたりする社会が当たり前にならないことを切に願う。
 断言はできないけど、音楽の勉強を一切していない人がMacでひょいっと作った曲が100年後にも残っているとは考えにくいし、そうだったら困るという気分もある。
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2009.11.01 / Top↑
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