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 目黒シネマで、2008年度キネ旬ベストテン第4位作品(トウキョウソナタ)と、同5位作品(歩いても歩いても)を観る。
 面白かったが、立て続けに観て精気を吸い取られたような。

 黒沢清監督作品「トウキョウソナタ」は、ある平凡な家族が崩壊に向かい、でもすべてを失う前になんとか持ちこたえ、再生の予感ごときものを見出すまでの話。気が小さいので、内容のあらましを聞いただけで避けていたが、2本立てのなりゆき上観たら、

 ……これはホラー?

 と、すっげえ怖かった。怖いけど、作り手の意志が明確な優れた映画であることは間違いない。描かれているのは、家族それぞれが抱える絶望だが、この家族はさらにどん底に落ちる“ある一日”を経験することで、家族として再生するきっかけを摑む。「生きていてナンボだ。命があればやり直しはきく(かもしれない)」というメッセージを受け取ることもできると思う。
 ただ、そのメッセージも観る人の心持ち次第だし、ラストはちょっと幻想的で、「前向き」「励まし」といったトーンとも無縁。そういう部分が、作り手の意志の表れなのだろう。折りしも100年に一度の大不況の真っ只中、今苦しんでいる人の心には、この映画がどうみえるのか。個人的には、この作品のよさをすくい上げるには、できるだけ元気な時に観るほうがいいと思うが、励みに感じる人が少しでもいたらいいと願う。
 もちろん、弱った人を元気づけるだけが映画(も含む創作物)の役割ではないけれど。
  
 是枝裕和監督「歩いても歩いても」は、「ブルーライトヨコハマ」の一節からとったもの。町医者を引退した父と母が暮らす海辺の町に、海難事故で死んだ長男の墓参りのために、長女一家と次男一家が盆に帰省する2日間の話。 
 冒頭から料理と食事のシーンがやたら多く、家族の営みの大半は食べることだと気づかされる。飲み食いの合間に挟まれる会話から、頑固な父親を適度に立て適当にあしらう母娘、尊大で見栄っ張りな父を苦手にする次男、アカの他人の家を観察する次男の義理の息子などを通して、ある平均的な家族の姿が浮き彫りになっていく。

 「トウキョウソナタ」がある種ホラーなら、こちらは、普通の人たちに見え隠れする底意地の悪さがじわりじわりと怖い。とくに樹木希林(母)がふとした折に見せる本音は、大人であれば誰でも思い当たることだろう。

 ・夫の浮気を数十年間黙っていて、団欒のさなかにポロッと暴露する。
 ・長男の水死の原因となった青年を毎年お盆に呼んでもてなすことを、「もうやめたら?」と言う次男に、「わざと呼んでるのよ。10年やそこらで忘れてもらっちゃ困るから」と返す。
 ・子連れ再婚した次男の嫁に、自分の着物を分けてあげながら、「アツシ君(連れ子)の気持ちも考えると、子供は作らないほうがいいかもね」と言って、嫁を引きつらせる。

 などなど。こういう底意地の悪さや冷ややかさは、人間の一部分であって、本人にもたいして悪意はない。映画の中にも出てくる、
 ・フリーターなんてロクなもんじゃない
 ・あんなに太って、ちょっとは痩せたらいいのに
 ・なんで子持ち女なんかと結婚したのか
 といったさまざまな差別、偏見、不適切な発言は、お茶の間では普通に見られるが(公的な場で言えば問題になるからだが)、家族の誰かが「そんなこと言うもんじゃないよ」といさめたところで、反省するわけでもない。「家族の前くらい、本音で話していいじゃない」という大前提があるから。
 ヒミツもウソも本音も建前も飲み込んで日常化する、家族という不思議で無敵な共同体。その中に属して私たちは生まれ、バトンを受け取り、祖父母や父母の記憶(価値観の断片も)をつないで生きていくのだ。
  
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2009.03.02 / Top↑
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